製品リリース間近の慌ただしさとは異なる、新しい計画が動きはじめたときの賑やかさ。収束から胎動へ。あとひとつ大きなプロジェクトの目鼻が整えば、ひとまず穏やかな気持ちで年末年始を迎えられそうだ。
試作してもらった少数の文字資料をもとに、次期開発書体のデザイン方針を検討する。昼すぎから冷たい雨。終日書体制作。
長いミーティングのあと、モスバーガーで昼食をとる。もどって書体制作。
朝と夕に書体制作。日中はイベントで外出。日常と非日常。
昨日ひとりプレゼンリハーサルをやって、原稿とPDFに手直しを加えた。自分史上もっとも少ないスライド数でありながら、非常に重要なプレゼンテーションになるはずだ。内容は簡素にしたぶん磨いてきたので、あとは緊張しないことを祈るだけ。
気持ちの良い接客をしてくれた店員さんに仕事を聞かれたので、近くにあったポスターに使われていたAXIS Fontを指して、この文字うちでつくりました、と言ったら会話が終了した。聞かなきゃよかったオーラと、言わなきゃよかったオーラが入り交じるなか、そそくさと勘定をすませて店を出た。われわれはこういう状況こそ変えていかなければならないのだ。
散髪屋に寄ってから書体仕事。小料理屋で結婚記念日を祝う。ひさしぶりに日本酒を飲んだらおなかをこわした。すっかり弱くなったもんだ。
『MdN』漫画タイポグラフィ表現論の号で、動的タイポグラフィが広く普及しないのはなぜだろうという問いに、「文字にはじっとしていてほしいんですかね」と自答した。あれからつらつら考えて思い当たるのは、基本的に読むという行為の主体は読み手だということである。そして、思考自体が動き回るものだということ。実際のところ、文字を主体とし、受け手が思考を働かせなくてもよい状況では、動的なタイポグラフィはひとつの表現として受け入れられているように見える。実際そのような空間で文字はよく動いている。これは皮肉とか批判的な言辞ではなく、文字の役割について考える手がかりとしてここに書きおいた。動的な文字が、静的な文字とは異なる思考方法を促すことはじゅうぶんにあり得るだろうと私は考えている。
仮名のデザインをすこしずつ磨き上げる。関係者が納得できるものにしたいし、この調子でいけばいいものができるはず。夕方から社内でプレゼンの読み合わせ。このシチュエーション、いつもより緊張するなあ。
今週大きな山をひとつ越えたことで、次の沢が流れはじめた。午前中は漢字制作を進め、昼からひらがなのブラッシュアップに集中。夕方になってシミュレーション用ツールに進展あり。求めている機能拡張が実装されれば、仮止めになっているいくつかのアイデアを試せそうだ。