東京に戻ってなお名古屋メシ、寿がきやの台湾ラーメンを食べる。あの台湾ラーメンにアメリカンという注文方法があることをさいきん知った。台湾ラーメンのアメリカンといい、シロノワールのハーフといい、全国展開を目指す名古屋の人気メニューから得られる教訓は、まずはとんがれ、マイルドにするのは刺さってからにせよ、だ。丸ミンは逆に、お堅いイメージの明朝体をほぐして人気フォントとなり、くり返し供されることでみごとに刺さった。
朝から小倉&マーガリンの菓子パン、昼にはえらく味付けの濃いネギ塩タコ焼き、夜は下品なくらい山盛りの串カツ。考えるな、喰えとばかりに名古屋のソウルフードを満喫した。実家で『アオイホノオ』を読み切る。島本和彦のマンガ絶望モードと庵野秀明のアニメ絶倫モードが最高だ。
『インターステラー』を観て、勝手に受けとったメッセージは、過去と未来をつなぐために、今できるかぎりの手を尽くすこと。
元日。雑煮を食べたら小雪が舞った。きょうの夕方から名古屋へ。レイトショーで『インターステラー』を観れたらいいなぁ。本年もよろしくお願いいたします。
『ストーン オーシャン』を読んだ流れで、ジョジョの一枚絵を描く荒木先生のDVDを観る。スケッチから完成に至るまでに出てきたさまざまな筆記用具と躊躇のない筆運びに見入った。続けて『新日曜美術館』の古田織部を観、きのう買った織部展の図録に目を通す。エッジを立てること、際に立つことを恐れてはいけない、というメッセージを荒木先生と古田織部から受けとった。
きょうは銀座で、テクノロジーとファッションと文化のエッセンスをたて続けに浴びてきた。アップルとディオールと織部。新しい時代のスタイルを提示しえた、アメリカとフランスと日本の代表的存在と言えよう。
まずはアップルストアにMacBookを持ち込んで修理の依頼。すごい人の数だ。開放的なアップルストアとは対照的に、おとなりのディオールは、にじり口のような狭い入り口に黒い布がかけられていて、そこをくぐるとディオールの世界に包まれるという趣向である。店内の熱気と人口密度はアップルストア以上だ。向かいの松屋銀座に入って、きょうから始まった「古田織部展」を観る。茶器に注ぐ視線の熱さはディオールに勝るとも劣らない。
客層の違いはあきらかだった。アップルは20代30代が中心で、性別問わず多国籍。ディオールは9割5分が女性で、年齢層は10代から60代までと幅広く、アジアもしくは欧米の人たちの姿も見うけられた。織部展はかなり年齢層が高く、来客のほぼすべてが日本人だったと思う。織部をまとめて観るのはこれが初めてだが、とにかく見飽きない。大胆な意匠と胸のすくような茶碗の面取り。ひょうげたかたちはそれらを活かす土台なのだろう。
カリフォルニアの禅とパリの綺麗さびと美濃のへうげもの。アップルもディオールも織部も、物と物語性に対する憧れが、人を惹きつけてやまない要素になっているが、実用性と自己投影度における織部のそれは、あまりに隔たりが大きく、共感を呼ぶ余地がほとんどない。実際のところ、いかした茶碗でおいしいお茶を飲める場所が飛躍的に増えなければ、アップルやディオールの経済性とは比べようもない。なぜ日本文化を資源に、スタバやサードウェーブのような動きが出てこないのか。
2005年から2010年あたりにかけて読んだ単行本1000冊を対象に選別を行ない、うち700冊を段ボール箱につめこんだ。なんとなく始めた蔵書整理が結果的に過去最大の規模になった。この作業を通じて改めて感じたのは、読書によって自分の芯が強化されてきたということ。良い本はくり返し読みたくなるものだが、好きな書をくり返し見るのもそれに似ている。丈夫な骨には良質なカルシウムが必要だ。精神にも書体にも。
500冊の単行本を整理し終えて新書に移ったところで力尽きた。用意しておいた段ボールも4箱では足りず、100冊の本がどこにも収まらないまま山積みになっている。長期間にわたって繰り返し読むような本の場合、紙の書物は頼もしいかぎりだが、物量としてはやはりでかい。
自宅書斎の大掃除。先週の160冊に加えさらに200冊ほど単行本を整理の対象にした。ついに書棚に空きができはじめ、分厚い雲のあいだからひさしぶりに太陽を拝むような気分である。
きょうで仕事納めという日にMacが突然死。前ぶれなく落ちたきり、電源投入できない状態に陥った。お釈迦になったMacは今月で二台目である。予備マシンのシステムとデータで問題なく作業はできるものの、この手のクラッシュは心臓に悪い。とはいえ年頭でなくて良かった。縁起でもない。