先行例が見あたらないものの試作はとりわけ重要で、漠然と考えていたことがあきらかになるだけでなく、一つひとつの試みの結果がさまざまな副産物をもたらしてくれる。すぐ役に立つわけではないが、原石をカットする新しい技法を見つけたくらいの価値を感じることもある。

収益面での安定性には欠けるものの、良いタイミングで面白い話が舞い込んでくる。中堅はもちろんのこと若手にも仕事を割り振っていきたいところだが、平行して作業を進めてもらうほどの余裕がない。手際よく高い品質の仕事を仕上げる経験を積めば積むほど好い循環が生まれる。結果を真摯に受け止めて臨む次の仕事が、人を育て、書体を育てる。

開発中フォントの磨き上げをいったん打ち止めにして、ファミリー展開のテストに入る。内部的には意義のある取り組みになるはずだが、実用性の面で確信が持てないため、まずは少字数つくってみて使いごこちを試してみたい。

別室で仕事をしていた若いデザイナーが「勝手に『大書源』出して使ってます」と言うので、もちろんそのために置いてあるのです、と答える。フィジカルとデジタルをいかに行き来するかという課題は、文字の世界においても徐々に重みを増していくはず。

作業内容が見えはじめてきた次の仕事をスケジュールに落とし込んでいく。外部案件と自主開発の重み的な釣合いが取れていて、日程的にも空きすぎず重なりすぎずの感じ。欧文デザインの確認と修正指示、和文サンプルシートへの赤入れと研ぎ磨き。

読む人によって『編集王』のクライマックス場面は異なると思うが、わたしは『春と修羅』を引用したシーンに震えた。自分が関わっている学校の卒業制作を観た直後だったせいもある。以下その一節。

 

けれどもいまごろちゃうどおまへの年ごろで
おまへの素質と力をもってゐるものは
町と村との一万人のなかになら
おそらく五人はあるだらう
それらのひとのどの人もまたどのひとも
五年のあひだにそれを大抵無くすのだ
生活のためにけづられたり
自分でそれをなくすのだ
すべての才や力や材といふものは
ひとにとゞまるものでない
ひとさへひとにとゞまらぬ

午前中に用事を済ませ、同期生の夫婦と栄で昼食をとる。話題は、子供の成長ぶりからイギリスの芸大が直面している問題のことまで色々。午後から愛知芸術文化センターで愛知芸大卒業制作展の講評会。絵画表現の技倆が年々上がっているのだが、その一因を知ってすこし心配になった。

午前中はひらがなの微調整。午後から販売に関する打ち合わせ。おみやげに和菓子をいただいたので、角さんに抹茶を点ててもらって楽茶碗で飲む。即興的な茶振る舞いは実にいい。夕方武蔵美の先生方との食事会があり、夜に名古屋入り。

イベント開始まで参加者の人数が分からないので少々不安だったが、ふたを開けてみたら盛況で、トーク終了後の質問もたくさん出た。対談相手として色部さんから指名していただいた身としてはひと安心である。いつもより男性のお客さんが多かったですという主催者の感想を聞く。前列まん中の席で熱心にメモをとっているご高齢の方が気になって色部さんに伺ったら、色部さんの学生時代の恩師だという。幸せなことだなあと思った。色部さんにとっても、先生にとっても。

漢字と仮名のデザインを微調整する。最後は自分の目を頼りにするしかない。見なれた単語を組んでは直しして、可能なかぎり違和感を消していく。たとえば舌は、味覚だけでなく、髪の毛一本の混入を即座に感知する。では目はどうか。

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